写真 佐藤有(たもつ)

1937年生まれ
20歳の頃から身近な自然や子供たちを撮り続ける。
現在、茨城県龍ヶ崎市にて写真館を経営。


なつかしの昭和の
     子どもたち
国書刊行会

 

文 田中秋男

1948年生まれ
CMプランナーとして約35年ほど糊口を凌ぐ。
50代半ば心臓に病を得、
職を辞して文筆業に励む。


筑波の牛蒡 敬文舎 

 

 

《旅芝居のこと》

 旅芝居のことも語っておこうと思います。
 旅芝居の思い出について何ほどかのことをここに語れば、私は余り親におねだりしない悲しい質の子供でしたが、この種の「異なこと」には目がなかったので、そのような機会には、私は出来得るかぎり、つまり朝から晩まで事あるごとに口を窮めて家人を説得し、ひとりでもいいの? ひとりでも行く! ようよう許諾を得ては見物に出かけたことがありました。
 近所の人に預けられ、時刻もまさに逢魔が時、村の「もの好き」な大人たちと一緒に、送迎用に仕立てられた幌付きトラックの荷台の上で、初めて見る本物の芝居(シバヤ)に胸をときめかせました。「もの好き」な大人たちのほとんどは村の小母さん連でしたが、ご祝儀の御ひねりは固より、差し入れ用には差し入れ用としてのお赤飯にお稲荷さん、更には茹で上げた唐黍や甘薯などが用意されていました。まるで「十五夜お月さん」のお供えもののようではありましたが、いざ舞台が始まってもみれば、それらの差し入れ役を私はなん度か仰せつかったりもしたのでした。なんともはや、麗しい時代があったものでした。
 その演目については殊更に書くほどのこともないでしょう、極めて常套的なものでした。役者さんによる型通りの歌謡ショーや寸劇(コント)があって、いよよ本日のお待ちかね、マッテマシタ! となります。メーン・イベントのお芝居は股旅もの――そうだ、その筋書きの中で、クライマックスと思しき場面に、我慢に我慢を重ねてきた美丈夫な青年役者と面憎き敵役の、でっぷりした初老の男との、一対一での取っ組み合いの喧嘩がありましたが、その迫真の演技にはもしや、これは本当に喧嘩をしているのではないのかと、私は浮き足立ったことを憶えています。善い方の渡世人の青年が下となり、馬乗りになった悪い方が卑劣にも隠し持った匕首を、一閃、振り下ろします。間一髪、匕首は青年の首筋を掠めて、なんと舞台の板敷きに突き刺さったではありませんか!
 思えばそこが彼らの見せどころでもあったのです。
 私はド肝を潰し、声もありませんでした。そんな危難をやりすごした美しい青年役者はしかる後、敵役をとことんトッチメ、やんやの喝采の裡に舞台を去るのでした。すると、客席から、御ひねりはところ構わず雨や嵐と投げ込まれました。
 彼は村人のカーテン・コールに応えて、低くした腰を更に低くし、ペコペコとお辞儀を繰り返し、なん度もなん度もステージに罷り出でました。やがては、その他の一座の者たちも舞台に出て来、挨拶がてらに「雨や嵐」の御ひねりを拾い集めるのでしたが、板敷きに突き刺さった匕首は妖しく、いつまでも舞台に刺さっていたのでした。

 ※付記
 以下、偶々読んでいた文庫本より。

 A「小屋がせまいせいか、舞台が見物席の一部でしかない。大広間の中のように、芸人と見物とがほとんど同一平面上で懇親している。ときどき前のほうにいる見物が芸人と会話したりする。中にはサクラもまじっているのかも知れないが、見物の感動を地盤にしていなくてはサクラだって役目がつとまらないだろう。舞台の芸が高潮に達すると、たとえばそれが小原節ならば、見物がいっしょになってキタサノサ、ドッコイショと唱和する。芸の高潮と感動の集中とが対応しているのだ。このとき、じつは見物こそ芸人で、舞台の芸人のほうが逆に見物しているような恰好になる。ちかごろ小屋掛けの芸はずいぶん拙劣で、うそにも高尚だとはいえないしろものだが、この見物側の享受の仕方はどうして低級どころじゃない。ちゃんと批評をしているのだ。その証拠には、舞台の歌いぶりが無気力ではなはだしくへたくその場合には、見物はとたんにつまらなそうな顔をして、ただ沈黙をもってこれに応える。感動の波のさっと引いて行くのがはっきり判るね。」
  ――「鴎外についての対話」(石川淳著「森鴎外」岩波文庫所収)。

 大衆に批評はない? とんでもない! 以上に陳べられているのは大衆芸能を愛する大衆の「無批評性の批評」についてです。繰り返しますが、大衆の批評は無批評的なのです。なるほどね、私には一読、耳を傾けるに値する意見と思われました。「享受しうるかぎりのものには無私をもって対する。そうでないものはあたまから相手にしない」、森鴎外の批評態度が石川淳の言う傍観者的「切断」の裡にあるのかどうかはともかく、私は常々、インターネット社会と言われる御代にあって、狭量な、何かと一言ある、けち臭い、この一億総小姑化する言痛き風潮に対して、むしろ無批評性の潔さ、美しさこそ言祝ぐべき態度ではないかと疑心していましたから、如上の一節には小膝を叩いてわが意を得た次第でありました。
 とりわけ、自己表出を旨とするジャンルなどに対してはつべこべ言わぬ「純粋なるべき享受の仕方」を、「高度な」プリミティブ的態度ともいえる無批評性の潔さこそ、私たちは学び直す時かもしれません。少なくとも、私にとっては耳の痛いことではありました――ぷふい!

 尚、蛇足を承知で追記します。西洋の俚諺には「悪魔は議論好き」があるそうです。その上、彼らは三段論法を嚆矢とする多彩な弁論術にも長けているとも聞いています。そこで、私は思い出します。学生時代だったか、何やらの議論が仲間たちの内で持ち上がった時に、理屈なら任せておけと宣い、薄ら笑いを浮かべてはしゃしゃり出てきたご仁がいて、その脂ぎった吹き出ものだらけのご面相と舌なめずりするような表情に、私は大変、おぞましい感じを抱いたことがあります。あの嫌な感じには醜怪な、ずばりヘブライ語でいうサタンを思わせるものがありました。ならば、なるほど「悪魔は議論好き」を、そのまま裏返しての「議論好きは悪魔」とも言えたでありましょうか――あっは!



    ******次回は、8月30日の予定です******

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