写真 佐藤有(たもつ)

1937年生まれ
20歳の頃から身近な自然や子供たちを撮り続ける。
現在、茨城県龍ヶ崎市にて写真館を経営。


なつかしの昭和の
     子どもたち
国書刊行会

 

文 田中秋男

1948年生まれ
CMプランナーとして約35年ほど糊口を凌ぐ。
50代半ば心臓に病を得、
職を辞して文筆業に励む。


筑波の牛蒡 敬文舎 

 

 

「子どもの想像力について、何ほどかのこと…」

 当時と限らずいつの時代にあっても、子供の想像力は限りのないものです。そして、子供の想像力に対する私の信頼感は紛れもない確信の裡にありますから、現在の私は現今の子供たちのバーチャルな遊びに対して、彼らの想像力を著しく奪うものだ、などと申す気は一切ありません。彼らは彼らで、ハイ・テクノロジーの駆使された遊び道具を手に、大人たちの想像もできない更なる想像力をプラスして遊んでいるに違(たが)わないと思うからです。これは一切のイデオロギーを否定する、イデオロギーなき私の唯一のイデオロギーと申してもかまいません。何方であったかは忘れましたが、その口振りを借りて申せば、私もイズムで終わる思考には与しないというわけです(かの「異邦人」の作家はイデオロギーを「論理の犯罪」と申しました)。



 さて、テレビが出現した時、これで映画は終わりだ言われました。でも、現在、テレビと映画は見事に共存しています。映画が出現した時、芝居はどう言われたでしょう、テレビの時の映画と同じことを言われました。しかし、芝居が滅びることはありませんでした、これは臨床学的事実ですね。映画の初期はもっぱら定点撮影でお芝居をそのまま映し出したものです。以来、色々な試行錯誤を経て、映画は映画特有の芸術として、芝居と袂を分かち、発展成熟をしていきました。
 でも、ここはその映画表現上の発見、進展を語る場ではないので遠慮しときます。が、語れと言われれば、映画の理念的原理はヴァレリーが言うように、プラトンの言うイディアの洞窟の比喩やダ・ヴィンチの暗箱にまで遡れそうですが、ともあれ、その要所要所での歴史的なメークポイント、主に表現上の事件的事態を語る準備と気持ちを、私は持っていないわけではありません。ですから、ここで、語り得ないというわけではないのです。私なりに、では、その何やらを語ってみましょうか、ほんのさわりにすぎませんが。
 ルイ・リュミエールが担った映画創成期から後の、映画技法を思いつくままに羅列をしてみれば、ズームアップ、ロング・ショット、オーバーラップ、アイリス・ワイプを嚆矢とするワイプによる場面転換、カット・バックなどが思いつきます。今ともなればコロンブスの卵ですが、その一つひとつの発見にはそれなりの天才が必要でした。カメラのパーンやフォーカスアウト、インでさえ! また、観客の学習能力の向上がそこには前提されたものです。嘘のような話ですが、当初はカット・バックが過去へのジャンプだなどとは理解されなく、見る側の混乱を招きました。そんなバカなと思われますが、映画を見つけない人にはなんのことやら分からないケースも多々あったのです。現在でさえ、実験的な映像作品にはそのような事態が起こります。それはどんな表現ジャンルにも言えることで、鑑賞にもスキル、仕方があるのは当然のことと言えば当然のことなのでした。つまり、映画も映画的知性と感性を以って鑑賞されるべき、総合「編集」芸術なのでした。
 やがて映画は、ドイツ表現主義の印象的な作品の数々(その代表は「カリガリ博士」か)を生み、終には映画的弁証法の粋、モンタージュの発見(「戦艦ポチュムキン」のエイゼンシュタイン!)に至り、映画文法の急速な確立と新たな展開へと向かいます。チャップリンの芸術やオーソン・ウェルズ(映画史上唯一無二の傑作ともいうべき「市民ケーン」!)の天才など、そのいちいちの歴史的な映象作品や著名な映画人を挙げていったら切りがないでしょう。
 更に、ペンを進めます。映画は50年代のイタリアのネオ・リアリズモを経て(一本を挙げるとすれば大方の推すだろうデ・シーカの「自転車泥棒」やロッセリーニの「無防備都市」ではなく、ルキノ・ビスコンティの「揺れる大地」に、私は一票を投じます)、フランスは60年代のヌーベル・ヴァーグへと、映画の「新しい波」は続きます(あなたのお好みはルイ・マル、トリュフォー、それともゴダールですか)。彼らの特筆すべき技法のひとつはハンディ・キャメラの使用だったでしょうか。それは低予算からの、苦肉の発明と頻用でした。彼らはカメラをペンに変えたのです。その思想はその後、60年代から70年代へかけてのアメリカン・ニューシネマへと受けつがれていきます。私はその恩恵をモロに受けたジュネレーションですが、数ある傑作の中から一本と言われるなら(無理は承知の上で)、ボブ・ラフェルソン監督の「ファイブ・イージー・ピーセス」でしょうか。
 一方、技術的にはトーキーから総カラーの時代へ、同時に銀幕はスタンダートサイズからワイド・スクリーンとなり、よりスペクタクルなものへ一挙に進展していきます。多様な光学的エフェクトは過去のものとなり(フイルムからビデオ編集へ)、見世物としての映画はハリウッドを基軸にした世界マーケット戦略の下、現在、コンピュータによるCGが妍を競っています。そのことは皆さん、夙にご存知のことでしょう。
 この辺で、映画の話を切り上げ、話柄を戻します。
 テレビの初期は映画や軽演劇の模倣から始まり、やがてはテレビの直截性や現在性が自覚され、テレビ特有の世界が開拓されていきました。「メディアとはメッセージである」は、M・マクルーハンからの今なお有効なメッセージです。
 ついでに申しますが、ダゲールがダゲレオタイプ(銀板写真)と呼ばれる写真法を発明された頃、とある画家から絵画のアプリオリテイ、優先権を侵すものだと言う提訴が裁判所にあったとする、嘘のようなアネクドートも残っています。更には15世紀は中期に於けるグーテンベルグの活版印刷の発明にはどんな悲喜劇が演じられたでしょう(最初の印刷物は無論「聖書」)。結果的には中世のラッパーであった吟遊詩人の消滅などが挙げられますが、ともかく、その活字は、それまでのスタイルである筆写体だったことをご報告して置きます。何を申したいのかと言えば、新しい媒体は旧媒体を否定するのではなく、常にその模倣から始まるということです。そして、やがては新媒体特有の、印刷革命において語ればタイポグラフィが必要に応じて開発されていきます。どんなに革命的な新しい発明も、前進後退を繰り返しながら、それでも結局は前へ前へと進んでいきます。それは科学技術の宿命で、自然過程と申してもよい哲理ですから、その軌跡は螺旋、常にスパイラル状になります。
 そんなことを確認しながら、最近、私が気付いたことを述べて、この項を終わりたいと思います。
 このビジュアル時代にあって、有識者の皆さんの中には子供たちの文字離れや、いわゆる図書離れを憂える声が聞かれます。人は言葉によって思考しますから、彼らは子供たちの思考能力低下を、率直に言えば、そういうことを心配されているのだと思われます。実はこのようなことは、二千数百年前にもあって、文字が発明され、やがては色々の分野で文字の普及が進むと、人間の記憶力が落ちるなどと憂いた哲人たちがいたと聞いています。文字の持つ記録性が、人の記憶力を怠惰にさせると言う理屈です。どこか、先の有識者たちの心配と似たところがありませんか。



 私はそんな心配は杞憂と一笑に付します。子どもたちはいつの時代にあっても、どんなテクニカルな環境にあってさえ、その持って生まれた「想像力」の加減増減に変化はないと、私は信じるからです。二枚折りの座布団の赤ちゃんにAI(人工知能)を搭載させようが、また、その外見がロボット化され、本物の赤ちゃん同様の形態と機能を持とうが、未来の赤ちゃん人形(おお、「未来のイヴ」!)は、それを負ぶう先の幼女の赤ちゃんとは大差はないと、私は考えます。
  なぜなら、どんなにテクノロジーが発達しても、それを負ぶう幼女の想像力があってこその、「座布団赤ちゃん」だったからです。変わったのは座布団からロボット赤ちゃん人形になったまでで、その玩具性の本質にはなんら変更はないと考えます。私が横倒しした三輪車に股がり、その三輪車の一つの車輪がバスのハンドルであって、私が大型バスの運転手にどんなにリアルになり切っていたか、そのことを思えばこその、ここでの、私の結論としたいと思います。かくして、ヴィエリ・ド・リラダン卿は言いますーー「幻想」が何処から始まり、「現実」が奈辺に存するか、何びとも、これを知るはない(斎藤磯雄訳「未来のイヴ」より)。


※付記
 昭和30年発行の人形作家の山田徳兵衛氏の「人形いろいろ」(朋文堂、旅窓新書)の「こけし」の中に、著者三原良吉氏の「こけし婢子雑考」中の文章が抜き書きされていました。曰く「往還の左側の土手の小径を、五つか六つ位の女の児が、五人ばかり一列になって登って来るのに逢った。あたりには家とても見当たらぬ新緑の楱莽である。女の児たちは、恐らく田で働いている親たちを訪ねての戻りであろう。赤い着物が目立って可愛らしい。ふと見ると、その中の一人の女の児の背中に、こけしが括りつけられているのであった。二三年前に、私は仙台から三里位ある海岸の村で、女の児が弥次郎のこけしを寝かして、子守り唄をうたっているのを見た事がある」。……

 岩田慶治/松原正毅/栗田靖之編著「子供の世界(39冊のフィールド・ノートから)」(くもん出版)には、以下のような文章が見えました。
「……一日のうち、もっとも暑い時刻で大人達が休んでいる間、わたしは一人で遊びます。今、何といっても楽しいのは人形遊びです。適当な空きビンをみつけ、それにボロ切れで腰布を巻き、やはり布をまるめて頭をつけ、ほぐした布で髪をつけると人形になるのです。一度作ってはしばらく遊び、またボロ切れをはずしては着せかえ、胸に抱いたり、話しかけたりして遊ぶのです。小さな男の子にみつけられると、人形の首をひっこぬいたり、腰布をひきちぎったりして、すぐにこわされてしまいますが、そのたびに作りなおしています。わたしが人形遊びをしていると、数年前から時々この村に来て長居をする一人の外国のおじさんが写真をとったり、「メイちゃんの子どもは何ていう名前」と聞いたりします。わたしはまだ子どもで、本当の赤ちゃんを産んだりするはずないのに、名前を聞いたりしておかしなこと言うなと思い、いつも吹き出してしまいます。」(小川了「メイの世界―フルベ族の少女」より)。
《註》フルベ族とはアフリカの大西洋岸から、中央アフリカにいたるサバンナ地帯に居住している牛を中心とした遊牧の民。しかし、今日では定着し農業に携わるものが多い。

 ガイラルト著「スタニスラフスキイ読本」(加藤衛訳、未来社刊)の中から、以下の一節を引用しときます。
「子供は俳優である。小さな女の子が、眼に見えない人形の車を引いて、郵便局への階段を上って行く、車を階段の踊り場において、母親と一緒に窓口へ行く、また戻ってきて、「外においてある車」を引いて、注意深く階段を下りて行く、その際、すべての動作は一分一厘の狂いもなく正しく行われる、まるで、ほんとうに乳母車を引いているようにーーこの子供は、遊戯中、一人の俳優なのだ。この子は想像で行動し、首尾一貫して行動する(母親が『早くしなさい!』というと、子供は『車を引いてるんですもの、そんなに早く歩けはしないは!』と答える)――その身振りは完全にほんものである、それ故、説得力をもっている、何故なら、見物はこの小さな女の子が想像している乳母車を、『見る』のであるから。」


     ****** 次回は、5月15日予定 ******

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