写真 佐藤有(たもつ)

1937年生まれ
20歳の頃から身近な自然や子供たちを撮り続ける。
現在、茨城県龍ヶ崎市にて写真館を経営。


なつかしの昭和の
     子どもたち
国書刊行会

 

文 田中秋男

1948年生まれ
CMプランナーとして約35年ほど糊口を凌ぐ。
50代半ば心臓に病を得、
職を辞して文筆業に励む。


筑波の牛蒡 敬文舎 

 

 

《白蛇伝説》

 そうして、今の今、この暮れの秋、そんな長いもの、いや、どなたかの定義によれば「ながすぎる」(ルナール)ものの幻の白い姿を索めて、私たちはこの小川沿いの小道を歩んでいるのだ。幻の、そう、私たちの間では何かと取り沙汰される「白蛇」はまことしやかな話ばかりで、いっかなその姿を現さないので、もはや伝説化していた。
 其奴は鶏卵などでは飽きたらず、誰それさん家のニワトリを丸呑みしたとか、とある集落の納屋の鼠が一斉に身を潜めたのは、実は彼奴の賜物だとか。あるいはまた、その身の危急の際には、喬木の枝から枝へと縦横にその身を移動させるだけではなく、梢の反動を利用して隣の木へと、なんと身を翻しては難を逃れる……。
 飛ぶの?
 飛ぶんだ!
 いざともなれば、奴はその身を仰け反らせては垂直にジャンプすることさえ可能なのだから、まさか。
 もっとバカバカしい話ともなれば、どこそこのオンツァマ(叔父さま)が真夏の夜に、余りの暑さに近場の沼で泳いでいると、目の前に漾う白い長いものがあった。これはいかん、自分の解けた褌と勘違いをして思わず鷲掴み、すると褌は水面上に鎌首を擡げ、口をその身半分ほどにまで裂いて威嚇したと! 
 そんなどこぞのオンツァマの肝を冷やした話なども、当時、巷間並びに私たちの間でも流行りにはやったフレーズを用いれば「その嘘、ほんと?」、面白半分に語られてはいた。

 シ!

 川面を覆った屋敷林の切れ目の辺りで、餓鬼大将は私語を禁じた。その上で、片手をそっと横に開いて、私たちの歩みをおもむろに制した。然る後、彼は一本の喬木に目を付けるや、かの白いものはあそこに纏わりついていたのだと、口に添えていた指で水面すれすれの下枝を指さした。と、あっと言う間もあろうか、周章ててその人指し指を裸足の踵で踏みつけた。踏みつつ、片膝を落としたままの姿勢で、目だけはその周辺を周到に窺っていたが、そこに白いものがとぐろを巻いていたりしたわけではなかった――指を足で踏むとは村の私たちのお呪いのひとつで、迂闊にも蛇をもろに指さしたなら、その指を足で踏まずば、いずれの日にか、しかも遠からざる将来、指は腐ってしまうだろう。だから、彼は何かを白蛇と見誤ったか、万がひとつを慮っての用心だったのだ。


《探索》

 さて、私たちは餓鬼大将の指図により、本格的に、川沿いの探索に中った。
 大将は小川を跳び越え、単独で向いの淵やその周辺の捜査に掛かった。我らは小川沿いの叢や畦の隈々を竹棹や棒切れで探った。所々に架かる丸太の小橋や土橋を利用しては岸を交互に換えて、はたまた橋の下などは腹這いになってまでして必ず覗き、入念に調べた。しかし、探索の成果はすぐにとは揚がらなかった。秋の日は短い、急がなければならない。私たちにもやや焦りの色があった。
 ところが、私などはまだ小半時も過ぎてもいないのに、もう探索に飽きあきしていた。それが幼少時以来の私の地金でもあるにはあったのだが――白い大きな蛇? そんなものがホントウにいたのだろうか。大将の思い込み、あるいは早とちり? あり得ることだ。だって、大将はその白いとされる蛇に常日頃からあんなにご執心だったのだから、見間違うってこともないわけではない。人並みの青い太い蛇や赤茶けた小振りな蛇、あるいは黄色い縞の細身の蛇などは、こんな私だって掃いて捨てるほど見てはいるが、いくらなんでも白い蛇だなんて。そんなものは単なる噂話に過ぎないのだ。きっとそうだ、そうに違いない。
 私はもう、白い大きい蛇などいないと勝手に決め付けてしまっていた。でも、年長者の後に粛々と随いながら、体裁だけは整えて、フデチクと呼ぶ女竹の釣竿で川面を捨て鉢気分で、掻き混ぜ、掻き混ぜ、探しているフリだけはしていた。
 いない、いない、いない。いない、いない、いない…、
 そんな時だ、足早に堀の上流に向かっていた連中の方で、癇高い悲鳴が挙がり、誰やらの川に嵌る水音がした。
 もしや! 私たちがそちらに向かうと、ひとりの男の子が腰まで水に漬かり、声の限りに喚いている。い、い、居たのだと言う。かの男の子はそのものを見て腰を抜かさんばかりに驚き、挙句に小川に足を滑らしたらしい。居たんだ、ホントに居たんだ。私たちの問いかけに、彼は、白いものは下流へ泳ぎ去ったと言う。下流からやって来た私たちは水面を蛇行する、そんな姿を見てはいない。
 ということは、どういうことなのか…、驚くべきことに大将はいつの間にかその場にいて早速の下知、彼の命により川上へ、私たちは速やかに川面を探った。居ない。念のため、川下へも、居ない。私たちは慌ただしく二手に別れ、小川沿いを右往左往した。大将は? と見るとその場を動かずに、とある一点を曰く有り気に凝視めていた。何や、ある。私たちは大将の下に足早に駆け戻った。戻ってはその視線の先を目で探る――い、居る! 私たちの目と鼻の先、草深い小川の淵に、彼奴はその身を真っ直ぐに伸ばし、潜んでいた。なんと云う狡猾、逃げたと見せかけて、おのれはあくまでもその場を離れずにいたのだ。うぬ!


     ******次回(6月5日予定)へ続く******

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