写真 佐藤有(たもつ)

1937年生まれ
20歳の頃から身近な自然や子供たちを撮り続ける。
現在、茨城県龍ヶ崎市にて写真館を経営。


なつかしの昭和の
     子どもたち
国書刊行会

 

文 田中秋男

1948年生まれ
CMプランナーとして約35年ほど糊口を凌ぐ。
50代半ば心臓に病を得、
職を辞して文筆業に励む。


筑波の牛蒡 敬文舎 

 

 

 記憶の中の異人たちについて語りたいと思います。この「異」が「偉」に通じていることは語義上の常識です、異能、異才などがそのよい例でしょう。ですから、多大の畏れと敬意を以って、彼らは以下、私によって語られます。

〔ジンカイ〕

 まずは、村を「巡回」するひとりの異人について語りたいと思います。彼は村民に「ジンカイ」と呼ばれていました。私たちはジュンカイと発声できずにジンカイと呼びました。
 ジンカイは初老の醜怪な面貌を持つ男で、見方を変えれば容貌魁偉、立派な面立ちともいえました。その身は短躯でしたが、がっしりとしていて、いつも背筋はぴんと伸びています。胡麻塩になった毬栗頭には赤い鉢巻のセンターに金の星を付けた軍帽を戴き、四季を通じて、真夏であってさえも! 藁色の軍人外套を身に纏っていました。
 ジンカイは重症の精神的障害を受けた廃兵の趣でしたが、本人は退役「将軍」のつもりだったかも知れません。彼はその無言の歩みをもって施しを受けていたわけではありませんでした。
 ジンカイは後ろ手に手を組み、やや俯き加減に、悠揚迫らぬ態度で村を巡回しました。辻々ではその歩みを停止し、おもむろに辺りを睥睨します。常に面差しは険しく、その眼差しの寂寥さは見る者の同情心さえ凍らせたに違いがありません(と、私の記憶がそう語ります)。その異様な出で立ちと佇まいからか、幼い者たちは道路上に彼の姿を見出すや、漸う近付く彼に身構え、ある距離にたち至るや蜘蛛の子を散らすように逃げ出すのでした。幼女にあっては泣き出す子さえいて、逃げては遠目に窺い、私たちは歩み去っていくその後ろ姿に、彼の蔑称でもあるその名を繰り返し繰り返しては囃し立てるのでした。中には、遠ざかる背中に向けて石礫を投げる子さえいました。
 私たちは彼を怖れました。
 ジンカイの何が恐かったのでしょうか。人生に船出したばかりの私たちは彼の中に、この航海の何をキャッチしたのでしょうか。そうとでも問わなければ、私にはなん度見かけても馴染むことが出来なかった、あの恐れの説明がつかないのでした。確かに、幼児が愚図ると、私たちの親はジンカイが来るよ、と言って子供を諌めたりもしました。ぴたっと泣き熄む子もいれば、一段と声を張り上げて泣き叫ぶ子もいたでしょう。彼の名を借りて、私たちの親は愚図る私たちに何が到来すると言っていたのでしょうか。そして、それは何を意味していたのでしょうか。
 ある日、村の悪童のひとりがジンカイの外套の背に、コールタールで大きくバッテン〔×〕を描きました。どのような経緯からそのような所行に及んだものなのか。肝試しめいた悪戯心からのなせる業に過ぎなかった、多分にそのようなことではあったのでしょうか。住処とされる彼の居場所に忍び込み、その目を偸み、脱ぎ捨ててあった外套にそんな真似をしたのだと、当の年嵩の悪童が自慢気に語るのを、私は聞いたことがあります。
 ジンカイは以来、その「しるし(シーニョ)」を背負って村を巡回することになりました。私はなん度もその背中を見ているし、黒々と殴り書きされたバッテンは目蓋の裏に、今尚、はっきりと焼きついています。
 身寄りのない彼は、村の外れに位置する、村の公共施設である消防小屋のひとつに寄宿していました。そのことは村人に黙認され、その地域の人々からは日々の米飯の提供があったとも、私は聞いていました。

付記
 「日本の民俗社会(ムラ社会)における異人観や異人との交渉の研究を行ってきたのは、民俗学であった。簡単に述べると、民俗学は、日本では古く・・は異人を歓待するという面が強かったが、次第にそれが忌避・虐待(排除)の面の方が前面に出てくるようになったという異人観の一般的傾向を見出した。たしかに、古代においては異人を歓待する習俗が目立っており、折口信夫や高取正男などが指摘するように、それが人びとを祝福するために他界から来訪する心霊への信仰と関係しているも否定しえないであろう。しかしながら、忘れてならないのは、程度の差こそあれ、といっても統計があるわけではないので数値的実体はどうだったのか知りようがないのだが、いつの時代にも、異人は場合・・に応じて歓待されもしたし排除されもしたにちがいない、ということである。民俗学では、どちらかといえば、民俗社会の異人関係史のうち好ましい・・・・側面の方を取り上げる傾向があるが、忌まわしい・・・・・側面もあるのだ、ということを私たちはつねに想起する必要があろう。民俗社会は、現代の都市社会がそうであるように、きれいごと・・・・・だけで成り立っているわけではないのだ」
   (「異人論―民俗社会の心性」小松和彦著、青土社刊)より。



    ******次回は、6月25日の予定です******

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