写真 佐藤有(たもつ)

1937年生まれ
20歳の頃から身近な自然や子供たちを撮り続ける。
現在、茨城県龍ヶ崎市にて写真館を経営。


なつかしの昭和の
     子どもたち
国書刊行会

 

文 田中秋男

1948年生まれ
CMプランナーとして約35年ほど糊口を凌ぐ。
50代半ば心臓に病を得、
職を辞して文筆業に励む。


筑波の牛蒡 敬文舎 

 

 

 わが地方には「パンカリ」と呼ばれる人格用語があります。「偏頗で短気で不寛容な性格」あたりが正当な語釈でしょうか。
 村の子供だった時代に、なぜかは知りませんが、私はそんなパンカリどもに随分と親和的に遇された思いが強くあります。老いた彼らの傍らで日柄年中、私は無為に過ごすことも可能でした。そんな際、彼らは溜息混じりに必ず漏らすのでしたが、お前はいいよ、はあ、ノンキで(!)。そのもの言いには幼な心にもどこか可笑しみが感じられ、しかし、今にして思えばそれはどのような質のユーモアではあったでしょうか。もしや、ペーソスとでも? 
 寄る辺なき寂寥感――それは私の人生の原感情ですが、それがある種の人間的な情趣に包まれる時に生まれる笑いがペーソスですね。もし、そうであるなら、それは「トホホの笑い」とでも定義しましょうか(笑)。
 そして、私たちはこの手の笑いをもっぱらにした芸術として、チャーリィ・チャップリンの映画芸術を挙げることができます。主演、脚本、音楽、監督を兼務しつつの、その作品数は長短合わせて80本(1916年の「売り場監督」から~57年の「ニューヨークの王様」まで)――彼の尽きることのなかった創造力の秘密が、「自伝」(中野好夫の手堅い邦訳も頼もしい二段組・600頁、巻置く能わず楽しめる名著です)の中の何気ないコメントに窺うことができます。「わたしはたえず大衆の好意というものを求めてつづけてきた。それが獲られたのだーーだが、その瞬間にわたしは、孤独のただ中に淋しく置き去りにされていたのだ」(「チャップリン自伝」新潮社刊)。
 なお、自伝の以上のコメントは晩年の作品「ライムライト」の老道化師・カルベロのラスト近くの台詞、「みんなに親切にされると孤独を感じる」(栗原とみ子、字幕訳)に見事に対応しています。
 さてこそ、私は思うのでしたーー人々の好意を得られたとしても(得られなかったとしたら尚更に)、決して癒されることのない「孤独」こそが、どんなジャンルにも求められる創造の秘密なのかもしれない、などと。

 〔村の自転車屋さんーブランドネームのことなど〕

 自転車屋のお爺さんの思い出です。
 私は暇を持て余すと、この驚くべき小宇宙を持つ自転車屋の界隈を徘徊したばかりか、そのお店の重要な「秘密会員(メンバー)」であると勝手に自認し、入り浸りました。実は近在にはもう一軒、自転車屋さんがあって、扱う自転車のメーカーが違うのでした。私の贔屓にするお店の方はY自転車、他店のはM自転車。私は村人の乗る自転車を見かける度にそのブランドを識別し、Yなら良し、Mだと身贔屓からか、敵対視しました。今ともなればなんとも陋劣な心情ですが、お笑いください。
 ところで、身辺の工業製品のメーカー名に思いを寄せる、そのようなことを自覚し始めた記憶は、私にあってはこと程左様に自転車を嚆矢としますが(この延長線上に私たちのHОNDAやKAWASAKIがあったことは論を俟ちません)、実は企業ブランド名に特化した少年時の思い出があります。
 今ならジッパーと呼ぶのでしょうが、当時はチャックと呼んだものですが、そのチャックには必ず引き上げたり引き下げたいするために短冊形の「摘まみ」が付いています。大方は真鍮製の小片でしたが、その摘まみにはブランド名が刻印されています。どのように始まったのか定かではありませんが、その刻印を確認する遊びがひと時のことでしたが、私たちの間で流行したのです。どなたかのものであれ、着衣や持ち物のチャックを目ざとく見つけてはその摘まみを拝見、そこに〈YKK〉とあるとイエスで、その他ならなぜかスカとなるのでした。でも、大体は〈YKK〉で、そこで「なあ、そうだっぺ」と持ち主と確認し合うのでした(因みに、当時のローマ字のカリキュラムは小学4年生から始められました)。
 思えば実に他愛もない、遊びとも呼べない現象でしたが、その説明を強いて図れば、こういうことに敏なる少年が、偶々ジッパーの摘まみの刻印に〈YKK〉とあることを発見し(あるいは彼のお兄さんあたりからのサゼッションがあったかもしれないーー知ってるか、この印?)、それを他人の持ち物でも確認し、そのようなことがみんなにも、概して男の子中心に波及、一過性のことではあれ、ちょっとしたブームになったのだと思います。私などもすぐさま夢中になり、率先してチャックのチェックに勤しんだものですーーな、な、な、ワイ・ケッ・ケッ!
 今やジッパーは至る所に見かけ、また、なくてはならない生活必需工業製品ですが、その頃はようやく私たちの身辺に見かけ始めたモノでした。ズボンの股間のボタンがジッパーになり染めた頃のお話です。
 以下、蛇足です。
 ジッパーのメカニズムはシンプルですが、そうであればこそ、いざこのようなものを発明するともなれば、何という天才がそこに必要であったでしょうかーー子どもの頃にどうなっているのだろうと、私は何度も上下させてみたことがあります。いまだにそのメカニズムの玄妙さには舌を巻きます、どう思われますか。

 〔村の自転車屋さんー自転車の部品のことなど〕

 私の贔屓にしていた自転車店の門口には大きな桐の木があって、お店のオーナーであるお爺さんの口癖によれば、孫娘の嫁入りの時にはこの桐の木で立派な箪笥が作られるということでした。ある時節になれば、懐かしくも美しい薄紫の花をそれぞれの枝一杯に咲かせた桐の木を見上げ、この木で箪笥をねぇ、子供心にも印象深く思われたものです。
 その若き日、私の自転車屋のお爺さんはかなりトチ狂ッていたと聞いたことがあります。どのようにトチ狂ッていたかは知りません。というより、ここでの私の関知するところにはありませんが、家人は言います、あの人も随分と丸くなったと。マルく? ああ、丸く。この丸が「円熟」を意味する修辞と私が知るのは随分と後々のことです。
 さて、私のつもりでは彼が無聊を託つ時の私はよき話し相手であり、だから、その一服の時には彼の定席である桐の木の根元に一緒に腰を降ろし、大振りの桐の葉が作る木洩れ日の下で、何くれとなく談論風発こもごも到ったというわけです。しかも、私はパンク程度の修理のことであれば、その手順などは門前の小僧で見知ったるところ、先回り先回りしてのお手伝いも可能だったのでした。だから、その気になれば、当時のパンクの修理の手順やそのさわりを、私はこと細かくここに再現することもできますが、どうしたものでしょうか。やはり、煩瑣を避けて遠慮しておくのが良識ある態度というものですか、止めます。
 ともかく、私はお爺さんから、その帰りしなには使用済み乾電池はいわずもがな、今や壊れて不要になってはいるが、私の目には輝くばかりの自転車の部品などが、ある阿吽の呼吸の下に贈られたりもしたのでした。私にあっては何でもかんでも徒らに欲しがってもいけないのですし、だからといって、片意地を張ったつれない態度も可愛気がありません。これ、要るか。はい。時に、いいえ。
 お爺さんの方だってそうなのです。何でもかんでも押し付けてはいけないのですし、気を持たせすぎるのも御法度です。持ってきな、ほんとに? さり気なく、しかも濃密に、その点、私とお爺さんとの交流はその全てに於いて上手くいっていたのでした、思い出すだに溜息が出るほどに、言わばお伽話の中の翁と童のように。
 そこにあったのは、果たして英国紳士流の社交術、「キープ・ユア・デスタンス(汝の距離を保ちたまえ)」のエスプリだったでしょうか。好意の過剰に淫することなく、かといって取り繕ったようなそよそしさの罠に陥ることもなく、常に活き活きとした真率さが保持されている、そう、互いの暗黙の尊敬を基調(ベース)にした過不足のない親密さ! 以後の私の人生の中で、このような他者との関係を誰と持ち得たでしょうか。老いた私にひとつの願望があるとするなら、どんな状況下であるかは不定としても、所を換えての稚き者とのそんな友情かもしれません。
 話を戻します。
 お爺さんからの贈与の二、三をここに語れば、まずはニップルの付いたままのスポーク、スポークは和語に訳(うつ)すなら「輻」ですね。この尖端をバインダーで尖らすと私製の簡易な簎(ヤス)ともなって、私たちの有用な遊び道具のひとつとなりました。なお、ニップルとはスポークを車輪のリムに垂直に固定させるための独特のネジのこと。このネジのアイデアは特筆ものではないでしょうか。タテのものをヨコに留める(ワットの蒸気機関は往復運動を回転運動に変えましたが)、私は子供心に随分と感心したものです。
 更に羅列するなら、輻(や)を車輪の中心に集める轂(こしき)、つまり車輪の軸。その内部に装填されていたボール・ベアリング。チェーンを絡めるギザギザをその周囲に持つクランク。壊れてもなお、クルクルと回転するペダルの一部。上部のスチールの半球を失って、内部の、なんともキュートなメカニズムを曝している警報ベルに、お尻を載せる革製の「サドル(このサドルの妙な存在感については別に一考があるところかも知れない)」を下部で支えていた、発条としては固すぎる嫌いのあるスプリングの片割れ。水平に保てば、竹の蛇の玩具に見るようなクネクネとした可動性を持つチェーンの切れ端など、エトセトラ、エトセトラ。
 そうだ、その上、随分と稀なことではありましたが、内部には回転するダイナモを持つ発電器さえプレゼントされ、この発電器の素晴らしさは私には余りに荷が重く、早速、私からのお兄ちゃんへの贈り物となりました。お兄ちゃんはこの贈りものはいたく喜んでくれました。私は日頃の恩返しができたようで、ようやくの面目が立ったようなとても晴々しく嬉しかったことを憶えています。
 また特筆すべきことには、ヨーロッパ中世はブリューゲルの「子供の遊び」の絵の中にも描かれている、多分に世界中の子供なら誰もが遊んだだろう「輪転がし」の、その輪っぱとなったリムのリングさえ、私は私のお爺さんから贈られていました。なお、自転車の部品の入っていた大小様々な紙製の空き箱なども、その意匠などに著しく気を惹くものがあるならば、その都度、私は私の盟友であるお爺さんにおねだりして頂いたりもしたのでした。

 私の子供時代の盟友、自転車屋のお爺さんは、私の少年期がまさに終焉を迎える頃に亡くなりました。思えば、日本語では「物」も「霊」もモノです。ですから、私はこの小文で、お爺さんとボクとの霊物(もの)の交流を書いたことになります。(合掌)。

☆☆☆

 掴みどころのない瓢(ひさご)の形をした自転車のサドルは、私たち子どもになんとも居心地の悪い思いを抱かせましたが、その面妖さはあの形だけから来るものだったでしょうか。いやいや、それは何より、そこにお尻を載せる用事を持つという、そのモノの事情の裡にあったからではないでしょうか。そのことをあからさまに口に出すことは憚れることでしたが、フロイトのいう肛門期を引きずっていた歳頃の私たちのサドルへの関心は、改めて申しますが、実はそこら辺にあったと言えないでしょうか。
 後年、その辺の消息を、私は「大人は判ってくれない」で劇的なデビューを果たしたフランスはヌーベル・バーグの雄、トリュフォーの短編処女作の印象的なワン・シーンに見出し、驚いたことがあります。いつも自転車を乗り回している美しいヒロイン(と彼女に羨望を抱く悪ガキ少年たち)を捉えたトリュフォーの映像は初々しく、中でも森の峠道を、短めのスカートをなびかせて、うら若いご婦人が自転車で疾駆するロング・ショットのシークェンスは、今、思い出しても一幅の映像詩でした。
 さて、森の湖畔に乗り捨てられた彼女の自転車を、目敏く見つけた少年たちのひとりがそっと近づき、鼻を押し付けサドルの匂いを嗅ぐのでしたが、初見であった二十代の私は、その鮮烈なエロチシズムの発露には少なからずショックを受けたものです。「あこがれ(原題Les Mistons)」というタイトルを持つ二十分ほどのシネジェニックな映像は今なお、私の胸に甘酸っぱく蘇ります。

 フランソワ・トリュフォー 『あこがれ』より

付記

 子どもと老人の親和性については、民俗学に於いては「翁童信仰」というジャンルを形作っていますが、その一端を、黒田日出男の文章を借りて以下に陳べれば「中世民衆史のなかでの『翁』=老人と『童』=子どもは、『人』=大人の世界では〈一人前〉とはみなされなかったが、象徴的には神に近い存在として意識されていたのである。それゆえ、中世身分制の制約から相対的に自由であり、遊びの世界に没入することもできたのであった」となります。(黒田日出男「『童』と『翁』」―民衆宗教史・叢書第二七巻・鎌田東二編「翁童信仰」所収、雄山閣出版)。
 更に、鎌田東二の「翁童論」の快著(怪著?)からーー「日本中世における大人=一人前の年齢区分は、六十歳以下十五歳までであったと黒田は指摘しているが、それはいいかえるとそれ以外の年齢の老人と子どもには刑事責任をはじめさまざまの社会的責任と義務がなかったということである。中世の絵巻物などの分析を通した黒田の見解は、中世では神仏は、童と翁と女となって出現したが、その理由は『〈翁〉〈童〉〈女〉が中世社会において構造的に周縁位置づけられているがゆえに、彼らは神に近い存在とみなされた』とされる。文化人類学でいう境界人(マージナルマン)や周縁の概念からすれば、たしかに老人と子どもは生と死の境界に位置し、女は社会的な組織構成の周縁部に位置し、出産を通して、霊の世界と自然界と人間世界の境界に位置していると考えられる。かれらはみないわゆる〈異人的存在〉なのであり、神や霊などの目に見えない異界の存在はこうした境界的かつ異人的存在者を媒介(メディア)=霊媒として、この世の秩序の中に仮現し、メッセージを送り込むのである。(鎌田東二著「翁童論」新曜社)。
 なお、「翁童信仰」とは、「翁童」なる概念用語の設定者である鎌田氏に拠れば「ある特定の実態的な信仰対象を指す言葉ではなく、日本の宗教文化の一局面を統一的にとらえるために設定された分析概念」と定義されます(鎌田東二編「翁童信仰」所収「翁童信仰の研究成果と課題」から)。

                                  (2020/6/20 )
                            

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