写真 佐藤有(たもつ)

1937年生まれ
20歳の頃から身近な自然や子供たちを撮り続ける。
現在、茨城県龍ヶ崎市にて写真館を経営。


なつかしの昭和の
     子どもたち
国書刊行会

 

文 田中秋男

1948年生まれ
CMプランナーとして約35年ほど糊口を凌ぐ。
50代半ば心臓に病を得、
職を辞して文筆業に励む。


筑波の牛蒡 敬文舎 

 

 

〔電気の工事〕

 私は電信柱の碍子のことを語ろうかと思います。なぜなら、あの中に詰まっていた「硫黄」が大変に興味深かったのですから。何であんな陶製の絶縁体の中に、どんな謂れがあってあんな黄色いものが入っていたのでしょうか。それは今でもそうなのかどうなのか、然るべき人に尋ねてみたいところです――(実際、この記憶に私は若干の不安を持ちます。しかし、私の記憶はしかとそのことを語っているのですから、たとえ勘違いだったとしても、私は私の思い出に殉ずるべきなのです。なぜなら、予めそのような覚悟の下に私の「子どもの領分」の稿は書かれているのですから、そうではなかったでしょうか)。
 私は村に「電気の工事」があると目聡く嗅ぎつけました。
 私はお兄ちゃんを誘い、ちょくちょく工事現場に出かけたものです。工事中の電気屋さんはまるで西部劇のガンマンです。太目のベルトを幾分だらしなく腰に巻き付け、そのベルトには私たちの目を奪わないではおかない多様な工具類が装着されていて、それらのひとつひとつは私には特殊な機能を持った近未来の銃器のようにも見えるのでした。そんな何ともいえない伊達な出で立ちといい、電信柱に取り付いての曲芸的(アクロバチック)な仕事ぶりといい、だから、私には彼らはすこぶる英雄的に思えたものでした。
 私は彼らを飽かず眺めていることもできましたが、その一服の時を狙って、おねだりしては不要になった碍子を貰い受けたりもしました。貰い受けると早速割って、中の黄色いものを取り出します。それでズボンの両の隠しを膨らましに膨らませて、お兄ちゃんはそんな私を呆れて見守っていましたが、私は意気揚々と我が家に凱旋するのでした。
 黄色いものは、その正体は硫黄なのですが、火に燃(く)べると青い炎を上げるのでした。そして、あの臭い! 
 日暮どき、夕餉の支度に忙しげな家人の目を巧みに偸んでは、私は風呂場の焚口にそれらを放り込み、しょうこともなくそんな臭いと炎のひと時を愉しむわけですが、遥かに後日、驚くべきことにはそれが火山の臭いだと知るのでしたーー火山、燃える山!(ジュール・シュベルヴィエル)
                           (2行修正  2020/9/10)



硫黄の結晶 「コトバンク ”硫黄”」より

 付記

 「火山から噴出するガスに多量の硫黄が含まれている場所、たとえば神奈川県箱根の大涌谷(おおわくだに)ではガス中の硫黄分が地表で結晶化し、現在進行形で硫黄ができているのを見学することができる。火山国の日本には硫黄は多く、かつては北海道、岩手、群馬などで採集され、輸出もされていた。しかし、現在は石油精製の副産物としてとれる硫黄が使われ、日本から硫黄の鉱山はなくなった。(中略)硫黄は硬度が低いため、大変もろく、割れ口は貝殻状になる。可燃性で、特有の臭気がある。複屈折性が強く、透明結晶ではものが二重に見える。珍品として、温泉に数mm大のボールとなって浮かぶものがある」ーー堀秀道著「楽しい鉱物図鑑」(草思社刊)より。

「幸せになるためには、火山がひつようなんだ。わしは、自分の土地で居ながらにしてその火山をたのしみたいんじゃよ。わしは自力でそのプランを実現するつもりだ、好奇心のつよい連中が、精密な地図を手にしていても、探しあぐねて永久に迷い、飢え死する、それほどへんぴなところにある理想的なわしの土地にだ」――(ジュール・シュペルヴィエル著「火山を運ぶ男」嶋岡晨訳、月刊ペン社)。      (2020/9/10追加)


 〔磁石の界隈〕

 磁石のことです、とは言ってもコンパス(方磁石、羅針儀)の方ではありません。磁石の界隈を語ります。
 駄菓子屋でも十円ほどで購えた馬蹄形の磁石は何かと好ましいものでした。
 朱色に塗られた小振りのそれは中々の悪戯者で、祖母や姉がお針ごとでもしていれば、私は磁石片手にその側に侍っては、彼女たちのお針箱を何喰わぬ顔をして狙ったりもしました。何やらチマチマしたものが混在している箱の中を、手にした磁石でかき混ぜます。すると、思いがけない小鉄片が手に入ったりするのでした。各種の縫い針、ミシン針、安全ピン、ホックの留め金、クリップ、鬢留め、その他、何やら得体の知れない鉄片の数々。中でも私のお気に入りはミシンの糸巻きでした。だって、私はその二重リングに、当今ならさしずめ「未確認飛行物体」と呼称されるようなものを見出してはいたのですから。それともあの形は巨大な宇宙ステーションのミニチュアだったでしょうか。が、いずれにしても、やがては長尺の竹の物指しなどが私の手元にピシャリと飛んで来て、邪魔っけ! 体よく追い払われるのが常のことではありました。
 駄菓子屋さんの磁石はいつだってそんな程度のものでしたが、お兄ちゃんの手で五寸釘の鉄芯に銅のコイルを幾重にも巻いて作られた電磁石は驚くべきものでした。その磁力ひとつを取り上げても凡百の磁石などとは次元が違います。然るべき鉄片が数珠繋ぎに引きつけられるとはどういう力のなせる業なのでしょうか。そして、その力はどこから来るのでしょうか。その仕業を目の当りにした時、私は腰を抜かし、どんな言葉もありませんでした。その上、エナメル質の光沢を帯びた、あの稠密に並んだコイルの美しさといったら!
 ですが、それらのコイルの美しさもさることながら、私はやはりスイッチひとつで自在に変幻する磁力の不思議の方に、その見えない力に一層魅了されていたと思います。だって、あの圧倒的な存在感を私に示したミニ・モーターの「モーターの原理」だって、実は内部に繰み込まれた同様の磁石と外部に設定された磁界との反発、その永続的な反復なのですから(おそらく、このメカニズムを真逆にすれば発電機になるはずですーー磁石を回転させて電流を発生させる!)。
 でもね、それらの不思議を言うなら、私たちが拠って立つこの球形の大きいものも一個の「永久磁石」、その少年時の私の驚きの方も押えて措かなくてはなりません。地球と磁石、どちらも両極にNとSを持ち、両者は常に照応しています。その証左がとりも直さず方磁石、コンパスなのです。
 いつの日にか、アインシュタイン博士のインタビュー本に、相対性理論の発見は幼少時、父からプレゼトされた一個のコンパスに始まっているのコメントを見出し、私はある感慨に耽ったものでした。世界の不思議、X。そのXを問うこと、それこそが「思惟の敬虔」だとは果して誰の言葉であったでしょう(ハイデッガー?)。たとえどなたのものであろうとも、なんとも美しい言明ではないでしょうかーー(「アインシュタイン、神を語る―宇宙・科学・宗教・平和」ウィリアム・ヘルマンス著、雑賀紀彦訳・工作舎)。
 なお、急いで付け加えておきますが、「思惟の敬虔」はやはりハイデッガーの言葉でした。彼の「シュピーゲル対談」に以下のように見えました、「問うことは思惟の敬虔である」と。もっと、前後の脈絡も紹介すべきところですが、箴言としては一行で十分事足りますので以上のままにしときます。ここでの私はむしろ、わが邦の詩人・寺山修司が常々口にしていた「答えであるより、私は一つの質問でありたい」の敬虔な決意の方を挙げて置きますーーマルテン・ハイデッガー著「形而上学入門(付・シュピーゲル対談)」川原栄峰訳(平凡社ライブラリー)。
   (「なお、急いで・・・(平凡社ライブラリー)。 」)(2020/7/28追記)

 私たちは磁石を駆使しては、砂場の砂から砂鉄を採集したりしました。おわかりのことでしょうが、付着した砂鉄を永久磁石から取り除くことは中々に厄介です。苛々します。その点、そのことに関し、電磁石はスイッチひとつで奇跡的な働きをしました。スイッチ・オンで砂鉄を引き付け、オフで砂鉄は速やかに磁石から離れます。初見の際、私はその余りの見事さに、小さく快哉の叫びを挙げたほどです。そして、この変幻自在な力はやがては軌道上に巨大な列車を浮かし、夢のような高速で疾走らせるに至るでしょうが、当時の私たちにそこまでの想像力を求めるのは酷というものです。
 でも、さすがに発明王・エジソンは抜かりがありませんでした。1882年に、彼は強力な電磁石を使ったオリジナルな「磁力選鋼機」を発明しています。以下、好著「エジソンの生涯」(マシュウ・ジョセフソン著、矢野徹ほか訳、新潮社)から引用ーー「(…前略)エジソンはかれなりの磁力選鋼機を設計した。それは、その下に一群の磁石を取り付けた逆円錐形のような漏斗(じょうご)からできていて、磁鉄砂を少しずつ流し込み、磁石のところを通らせると、鉄の粒は磁力偏向で分離されて一方の入れ物に流れこむが、砂はまっすぐ別な入れ物に落ちていく仕組みになっていた(…後略)。
 では、私たちの方の採集された砂鉄はどういう運命を辿るかといえば、大方は馬蹄形の磁石に繰られてセルロイドの下敷きの上で毳立つように舞うのでしたが、案の定、直に飽きられてしまいます。でも、砂鉄そのものは白墨の粉と同様、お気に入りのガラスの小壜などに保存されました。そして、いずれは忘れ去られてしまうでしょう。
 以下はいささか余談に亘りますが、何のつもりか、当時、私は白墨の粉なども蒐めたようです。黒板の下方の溝に溜まった粉末を、どうにかしたいと思わない子供など果たしているのでしょうか。私にしたところが、どうして見逃すことなど出来たでしょう。
 ちなみに私の場合、白墨の粉に限っていえばなぜか水に沈澱させて保存しました。その「なぜか」はそれなりの深慮があってのことだったでしょうが、今となっては不明です。白墨は含水率の高い石膏を焼き、その粉末を固めたものにすぎないなどと知るのは大分、後々のこと。しかし、そのことが私の「なぜか」にどんな光明も与えるわけではありません。

 永久磁石に纏わる思い出をひとつばかり付け加えます。

〔U字型磁石〕

 幼年時、私は実に立派なU字型の永久磁石を、確かにそのようなものをひとつばかり所持していました。その磁石はラジオの内部でもひと際お道化た部分に発見されました。それはスピーカー、金属のフレームで護られてはいますが、厚めの紙にすぎないひしゃげた喇叭の根元の所になぜか装填されていました。スピーカーと磁石のテクニカルな関係については、私には今以って謎ですが、どんな拍子で私がそのような偉丈夫を手に入れたのでしょうか。
 更に記憶をまさぐれば多分に、家の物置の片隅に壊れたままに放置されていた大型ラジオの内部に(その内部こそ宝の山です)、まずは真空管の妖しき魅力に取り憑かれ、そのひとつひとつを取り除いている裡に、お兄ちゃんのところで見かけたUの字らしきものを発見したと思われます。もしや? の思いに駆られて、見よう見まねで習い覚えた〔+〕と〔-〕のドライバーを駆使し、苦心に苦心を重ねたことはいうまでもありません、暇に飽かせては終に自力で手に入れたのです。それはラジオの内部でもひどく武張って見えましたが、実際、白日の下に晒して眺めてみれば磁鉄の厚みがぶ厚くて、その磁力も桁外れなものでした。
 これは子供騙しのオモチャなどではないぞ、この重厚さは本物の本物なのだと私は直覚しました。験しに物置の釘箱の中に何気なしに突っ込んでみると、これは大変、ひと山ほどの釘が忽ちの裡に凝固してしまった! 固定された鉄板などに軽い気持ちで当てがうものなら、グイと手首を取られ、ヒタと吸い付いたなり引き離すのにも骨が折れました。なるほど、そいつは農具の鎌などは無論のこと、鋤や鍬の類いさえも引き摺り、大振りの玄翁だって持ち上げました。
 当初、私はこの強力な磁力を持て余しましたが、玩(もてあそ)んでいるうちに、やがてはその力を私なりに飼い馴らしていったと思います。その一例をもってすれば、私はこのUの字を襤褸切れで包み、ゆらりゆらりとその上で舞わせては釘箱の釘を好きなように踊らせてみたり、その伝で、磁石の先を薄物でくるんでは物置の土間の砂から砂鉄を労なく採集したりもしました。ユーレカ! こうすれば、なんなく砂鉄を磁石から分離できるわけで、砂鉄なんていくらでも手に入りました。そして、この手法はその節、自前で発見したと思い込んではいました、オレって天才! だが、そのプライオリティは怪しく、誰かさんの見よう見まねの再発見にすぎないと思われます。
 そして、今でも不思議なことですが、どうした心の綾からか、私はこの磁石を誰にも見せずに、お兄ちゃんにさえ(!)、門外不出にしてしまったことでした。物置の私だけの秘密の場所に仕舞い込んでは、誰にも相手にされず、本当に本当にひとりぼっちの時、ふと、その存在を思い出してはひとり遊びを遊ぶのでした。

                                  (2020/7/1 )
                            

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トランスと碍子(右)









































 

 








 

 

 

 




U字磁石 
出典「ミドルエッジ」



























































































 



































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