写真 佐藤有(たもつ)

1937年生まれ
20歳の頃から身近な自然や子供たちを撮り続ける。
現在、茨城県龍ヶ崎市にて写真館を経営。


なつかしの昭和の
     子どもたち
国書刊行会

 

文 田中秋男

1948年生まれ
CMプランナーとして約35年ほど糊口を凌ぐ。
50代半ば心臓に病を得、
職を辞して文筆業に励む。


筑波の牛蒡 敬文舎 

 

 

 秋、私はお兄ちゃん家の縁側にいます。
 お兄ちゃんは模型ヒコー機を作っています。私はお兄ちゃんの手元で、あれよあれよと形を成していく竹ヒゴの骸骨に目を瞠っています。時々、お兄ちゃんは工作中のヒコー機を掲げ、目顔で私に尋ねます、どお? 私はそのつど、賛嘆の吐息をつきます。
 すると、お兄ちゃんのお母さんがお兄ちゃんの名前を、なんと大人を呼ぶようにさん付けで呼んでは、およしなさいよと叱りました。私が余りに羨望の眼差しで見るから、そんな風に得意気に、つまり奢りがましく振る舞ってはいけません、という諭し方をしたわけです。見せ嬲ってはいけない、そんな叱り方も今となっては床しい倫理のひとつかもしれません。
 模型ヒコー機はお兄ちゃんらしく、大型で難度の高いクラスのものでした。その飛距離は並外れているといいます。私は只々、お兄ちゃんの手並みに見惚れ、その完成を心待ちに待ちました。

 私はここから、思い出の中の模型ヒコー機の素材について、あれこれを語りたいと思います。

 〔模型ヒコー機の素材〕

 私たちがあの特徴的な帯状の袋の封を切ると、周章てて飛び出して来るのは決って白木の角材。こちらが心細くなるほど細身で、その断面は矩形。縦に平たく、全長は50センチ内外、これが私たちのヒコー機の機軸、お魚に喩えれば背骨です。この長さがいうまでもなく、機のスケールを決定します。
 ついで、各種、竹ヒゴ。すでに翼の形に、つまり「つ」の形に曲げられているものと真直ぐなものと、これで主翼、水平尾翼、並びに垂直尾翼を作ります。更には、その竹ヒゴを継ぐアルミニューム管。私たちはそれを単にニュームと呼んだ気がします。実際にはニムと約めて発音したと思います、そこのニム、取ってよ、という風に。
 余談ですが、私はそんな言いつけは一言も聞き漏らしませんでした。ばかりか、お兄ちゃんの側に侍り、私なりにどんなに甲斐甲斐しくお兄ちゃんのお手伝いを心がけたことでしょう。お兄ちゃんはそんな私を慮ってか、今思えば、どうでもよいようなところで、時に私の手を煩わせました。
 もとい、ニムのことです。当今はご親切にも予め当該サイズに、つまり、2、3センチほどの長さに切断されていると思われますが、私たちの頃は一本、乃至は二本ばかりの長尺のアルミニューム管が用意されていたにすぎません。それを、私たちは用途(後述する主翼台のところなどは、やや長めに使用します)に合わせて、いちいち切断したものです。小刀で転がしながら、か細く長いものに筋目を入れ、頃合いを見計らっては手折ります。その際、アルミニューム管の縁を歪めることなく、お兄ちゃんの手で上手に、パキパキと折れていくところなぞは何とも小気味よく、私にはその様がいとおしく思い出されます。
 要は、そんなことを繰り返しながら、私たちは当該サイズのニムを手に入れていくわけですが、私の方に、こんな下準備も工作の醍醐味の内さ、なんて大口を叩く気はさらさらありません。だって、そんなことを言おうものなら、お兄ちゃんのそのまた上の、お兄ちゃんのお兄ちゃん世代からは竹ヒゴだってオレたちの頃は翼状にもなっていなかったぜ、と窘められるのが必至(オチ)だからです。真直ぐな竹ヒゴから、蝋燭の炎と手加減だけで翼の形を作り上げていくなど、当時の私には想像も付き兼ねることだったし、今の私にだってそのことは驚くべき仕業だと思われます。
 話を進めます。
 模型ヒコー機の素材の中でも、とりわけ取り扱いに注意を要するのは、主翼を支えるための「へ」の字形のリブ(桁)です。翼の幅に合わせて大から小へ、必ずペアで何組か、翼は左右対称です。素材は桐、とにかく薄い。「へ」の字の両端は竹ヒゴが篏まるように小さく穿ってあります。乱暴に取り扱おうものなら、すぐに毀れます。まあ、それは模型ヒコー機全体にも言えることでもあって、そんな壊れ易さ(フラジリティ)が少年たちを模型ヒコー機狂いにしているのかも知れません。そこにはどんな「美のはかなさ」(O・ベッカー)が関与しているというのでしょうか。機会があれば腰を据えて論じてみたいテーマではあります。が、まてまて、思えば、どんな子供もフラジャイル(取り扱いに注意)ではありました。
 リブに関し、さらに付け加えたいことがあるとすれば大型機種特有の、尾翼のそれのことでしょう。つまり、大型機の場合には尾翼にも一対のリブが採用されていて、それは取りも直さず尋常なサイズの機種にはあらずという不在証明でもあって、尾翼でさえリブの補強が必要なくらい宏濶な翼であることを意味しました。私は設計図の段階からそのことに逸早く気付き、瞠目しています。お兄ちゃん、尾翼にもリブ! 私は息急き切って小さく叫びます。そうね、そうそう、お兄ちゃんはそんな場合、常にさり気ない。あるいは、殊更に、さり気なく振る舞うようなところがあって、それは私の知る限り、お兄ちゃんのひとつの癖なのです。
 一方、再び主翼に話を戻せば、両翼には整然となん対ものリブが秩序だって装填され、そのまま機軸にそっくり装着されると、私たちのヒコー機の偉容は一挙に現前します。今や主翼は見事に「展翅」され、たとえ骨組みだけとはいえ、いや、それだからこそか、私たちの眼下に展開する、その大型機ならではの佇まいは、喩えてみれば鬼ヤンマを手にした時のような、凡百の塩辛蜻蛉や麦藁蜻蛉をどんなに採集しても得難い、あの畏敬にも似た感慨すら齎すのでした。(つづく)

                               (2020/7/20 )
                           

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