写真 佐藤有(たもつ)

1937年生まれ
20歳の頃から身近な自然や子供たちを撮り続ける。
現在、茨城県龍ヶ崎市にて写真館を経営。


なつかしの昭和の
     子どもたち
国書刊行会

 

文 田中秋男

1948年生まれ
CMプランナーとして約35年ほど糊口を凌ぐ。
50代半ば心臓に病を得、
職を辞して文筆業に励む。


筑波の牛蒡 敬文舎 

 

 

 更に、「模型飛行機の素材」についてのお話です。

〔ヴァルネラヴィリティ〕

 翼に張る薄紙。色は白、いや、中には色付きの翼紙を持つモデルがあったようにも記憶しますが、私にとっては模型ヒコー機の翼は無地無色、白くなければならないし、白くあって欲しいと思っていました。青い空に、翼はあくまでも真白く照り映えて欲しいのです。それがエアロ・プレーンのエレガンスというものではないでしょうか。
 更にいえば、白い翼に由緒を示すエンブレムがさり気なくプリントされたくらいが洒落ています。当時、そこまでの意匠を持つ翼紙はなく、私たちはパッケージから好みに合ったロゴタイプを、出来たら英字のそれを切り抜き、機の完成の暁には工作者の思いを込めて、翼の然るべき所に糊付けしたりしました。ただし、赤い小円を両翼に貼ったりするのは余りに芸がなく、私は買いませんでした。
 どうにも遣り切れない魅力を持つ翼紙自体については、殊更に語って措きたいことがあります。薄く、薄さの中にも腰の勁さがあって、新品のY襯衣を柔らかく包んでいたりするこの手の紙に接すると、私は今でもドギマギさせられます。つい、クシャクシャとしたくなる衝動に駆られ、そうして必ずやそうしてしまいますが、美しい紙はなべてそんなヴァルネラヴィリティ、虐められやすさを持っているものです。
 ピンと張った障子紙を破ってみたいと思わなかった、いや、こっそり破らなかった子供などどこにもいなかったはずです。翼の紙に限っていえば、そんなことはけしてしないし、誰にもさせはしませんが、この手の紙が幼な心にある不安定な気分を誘発したとするなら、そこには多分にそんな心理的消息が関与しています。
 気になる女の子のお下げや、猫の尻尾は四の五もなく引っ張りたくなるものです。事実、私はそんな類いに遭遇すると必ず引っ張るよう心懸けていたし、何を血迷ったのか、姉のそれにまで手を掛けて大目玉を喰らったことがあります。
  「弱さ」は誘惑します(そそのかすのです)ーー蓋し、ヴァルネラヴィリティとはもうひとつの「愛のかたち」でしょうか。裏返った愛、もしくは愛の対偶、それは虐められやすさにおいて、幼い愛を誘発するのです。
 閑話休題。
 子供時代を通して最良の紙の記憶を挙げるとするなら、私はこの翼の薄紙をもって嚆矢とします、と改めて書き留めて次へと進みます。

〔デュシャンとプロペラ〕

 遂にプロペラ。やがてはその他のパーツ同様、プラスチック製に取って代わられてしまいますが、この頃はまだ木製でした。その捩れの曲面はミステリアスで、謎が多く、私には今もって不思議なオブジェです。
 ここでは、プロペラそのものの魅力についてはこれ以上を語らないつもりです。語るべきことがないのではありません、多すぎるのです。そこで、前世紀の反芸術運動(ダダイズム)をリードしたM・デュシャンのプロペラに纏わるアネクドートを、手元の図書からひとつばかり紹介して、ここでの私の任とします。
 それは二十世紀初頭のこと、デュシャンは友人の画家たちと航空技術博覧会を観覧した際のことです。その帰路、デュシャンは同行したC・ブランクーシに以下のように語ったと、F・レジェが報告しています。以下、ジャニス・ミンク著「マルセル・デュシャン」より――「絵画はもうおしまいだ。一体、誰があのプロペラよりも素晴らしいものを作れると云うのだ、聞かせてくれ、君にはできるのかい?」。
 ブランクーシがなんと答えたものか、それ以上をレジェは私たちに語ってくれませんが、プロペラへ捧げるこれほどのオマージュを私は知りません。プロペラだってプロペラ冥利に尽きるというものです。
 また、別の参考図書(カルヴィン・トムキンズ著「優雅な生活が最高の復讐である」)を覗くと、キュビストというよりは未来派に与すると思われる当のレジェには、「薔薇よりも美しいボルト!」の発言が残されています。もって、瞑すべしとはこのことではないでしょうか。
 というのも、期せずして、私はここで「真空管」を発見した時のわが驚嘆を思い出さざるを得ないからです。二極、三極、五極のガラスの電子脳。具体的に、更に言い募れば、その宙空に銀色に輝く高層ビルを浮上させたGT管、久遠の未来都市をボーリング・ゲームのピンの形状に封じ込めたたST管、全身、メタルに覆われた得体の知れないMETAL管、人の小指ほどのサイズがなんともスリリングなミニアチュア管、エトセトラ、エトセトラ――聞かせてくれ、誰がそれらの真空管よりも素晴らしいものを作れると言うのだ。そして、その時「おしまい」を宣告されるものはなんですか?
 私たちのプロペラの話に戻ります。
 プロペラは将棋の駒ほどのパーツによって、顎を突き出すように主軸に取り付けられます。その駒をなんと呼んだものか、残念ながら私は失念しましたが、ここでは「プロペラ台」と私なりに呼んでおきます。
 木製の台にはシャフトを通すための孔が穿たれ、プロペラは台を貫通した一本の鋼で主軸の先端に確保されます。シャフトの一方は疑問符「?」のようになっていて、糸ゴムをそこに引掛け、プロペラと動力は連結されるという手筈です。駒とプロペラの間には一粒のビーズ玉が挟まれ、プロペラのスムーズな回転を約束します。
 以上、私たちのヒコー機の主要な素材は大方、語られたと思います。
 そこで、子どもの時代の私の愚かな勘違いについて一筆、ここに認めておきます。私はプロペラの風力そのものが翼に揚力を齎し、飛行機は飛ぶのだと思い込んでいたのです。なんともおバカな私でしたでしょうか。
 ですから、私は随分と後々の日まで、双発のプロペラほどの動力で大型旅客機が飛んだりするのが解せませんでした。あの程度のプロペラの風力で、あんなジュラミレン製の巨体に客や貨物を乗せ、よくも飛ぶものだと。
 ところが、ジェット航空機の登場でハタと自分の誤解に気付いたのでした。飛行機はプロペラに起因する風力が翼に揚力を与えて飛んでいるわけではなく(恥ずかしながら、繰り返しますが、そのように、私は思い込んでいたのです)、プロペラの役目は単に推進力を得るためだったのでした。ですから、そこは回転翼自体の働きで飛ぶ、ヘリコプターやドローンや竹とんぼなどとはわけが違うのです。
 飛行機の飛行とは要は四つの力の組み合わせです。垂直方向には上向きの「揚力」と下向きの「重力」、前後には前への「推進力」と後ろ向きの「空気抵抗」、これらの四つの力のバランスなのです。中でも、流線型の翼の断面(「へ」の字の形、泳ぐ魚の形姿が理想的な流線型です)と仰角から発生する「揚力」の発見が飛行機の実現に大きな役割を果たしました。鳥の飛翔を例にとれば、翼の羽ばたきの模倣ではなく、滑空の方の翼の在りようが手本になったのですーー「そもそも翼とは、小さい抵抗で大きい揚力を生ずる形体の名称である」(谷一郎)。
 私たちは凧揚げ遊びで、凧の仰角が生みです強力な揚力を、凧糸を通して体感しています。そればかりではなく、走る汽車の窓から、進行方向に手を出して、開いた掌の角度(仰角)を変えては微妙な揚力の変化を、飽かず楽しんだはずです。
 だから、全ての汽車の窓から、子どもたちが掌を差し出し、その掌の揚力の総合が重力を上回れば、理屈としては、汽車は飛翔するはずです。現実的には、揚力に関わる汽車の推進力と、揚力の維持に貢献する「掌の翼」の総面積が足りないですから、飛行はどだい無理ですが、そんなことを夢想することはとても楽しいことです。
 さあ、与太話はそこまでにして、そこで、書き忘れた模型ヒコー機の素材に話を向ければ、残るは脚部だけでしょうか。私は唯一この部分に多少の不満を感じていました。二股になった鋼の脚は主軸を跨いで開脚し、踏ん張った形で大地に接地するのでしたが、所詮、そのものはか細い針金に過ぎず、余りに心もとなく頼りがいがありませんでした。双脚の両端に取り付ける外套の釦のような車輪も車輪と呼ぶにはなんとも子供染みていて、脚部全体にお座なりの感が否めませんでした。
 どんなに幼い子供にも子供っぽいという不満はあるものです。事実、着地の際、それらは役に立った験しはなく、また、私たちはそんなことを期待もしていませんでした。なぜなら、私たちの面目は飛翔そのものにあったのであり、着地などどうでもよかったのでしたから。としても、地上の模型ヒコー機はとにかく、よくコケました。コケては余力を残しているゴムの動力で、プロペラが間歇的に地面を敲き、私たちのヒコー機は巨大な昆虫のように、全身を震わせ踠きました。すると、私たちは瀕死の痙攣のようなその態が見るに忍びなく、一刻を争ってはその場に駆けつけるのでした。…
 
 最早、私に語るべき模型ヒコー機の素材はありません。あったとしても、その動力を一手に担う、チョコレート色の糸ゴムの束とか(その在るべき姿はいずれ詳述されるでしょう)、それを機体後部に取り付けるもうひとつの鋼の「疑問符」ぐらいが関の山です。ただ、そのフックと糸ゴムをリンクさせる、私たちがダルマと呼んだS字型の小金具などは記憶に残っています。そのS字を指先に載せて眺めて見ると、なるほど、その形は達磨さんなのでした。
 ここまでが、あくまでも私の思い出の中にある模型ヒコー機のエッセンスです。ここで、一枚の設計図の持つ美しさについて語る必要があるでしょうか。この種の工作に携わった少年なら、誰もがその図の用途以上の美しさに感応しているはずです。私だってそのことにかけては人後に落ちません。

付記

参考図書

 模型ヒコー機のフラジリティについては松岡正剛著
「フラジャイル(弱さからの出発)」(筑摩書房)の示唆の下に書かれています。素晴らしい名著で、記して感謝を捧げます。
デュシャンに関しては以下の書にお世話になりました。
・「Duchamp」Janis Mink(TASCHEN・⑲・日本語版訳・Kyoko Hasegawa)。
・「優雅な生活が最高の復讐である」カルヴィン・トムキンズ著、青山南訳(リブロポート)。
・「マルセル・デュシャン論」オクタビオ・パス著、宮川淳・柳瀬尚紀訳(書肆風の薔薇)。
 また、真空管については、
・「NHKラジオ技術教科書(基礎篇)」日本放送協会編(日本放送出版協会)を参考にしました。
昭和40年発行の、このラジオのすべてが解説された教科書を古書店で手にして以来、時に私は色々な部位の回路図や構造図、スピーカー(正しくは「ダイナミック・コーン型高声器」)や、もちろん真空管の図解などを眺めて(一種の絵本として!)楽しんだことを、ご報告しておきます。
 「飛行」の理屈については、主に以下の図書を参照しました。
・「飛行の原理」谷一郎著(岩波新書)。
・「引力とのたたかいーとぶ」佐貫亦男著(法政大学出版局)
・「航空知識ABC」日本航空広報室編(読売新聞社)。

                               (2020/8/10 )
         
                   
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